久しぶりに、埼玉で木の家づくりをしている設計事務所の方の
勉強会に参加しました。
この日は、瓦探索のレポートで、
写真をみせていただきました。
発表されていた方がおしゃっていたのですが
普段何気なくつかっているものの
つくられ方を実際にみてかんじると
素材のもつチカラを改めてかんじる。。と。
お話にもチカラがあったのでしょうか、伝わってきました。
普段接しているもの。
建築の素材でなくても、野菜であったり服であったり、
家電であったり、どんなものでもいいのですが、
どんなふうにつくられているかを
知ることって、
大切なことだと思うのです。
そのことによって、大切にしたいとか
いろいろな、思いが生まれたら、
きっとその人自身の暮らしも変わるではないかな。
今回レポートのあった瓦は、重いものですから、
地場の土で、地場で焼かれてつくられてきたもの。。
だから、子供たちも大人たちも、つくられかたを
知りながら育ってきたものだったのでしょうね。
インターネットなどが発達して、
調べればすぐ分かるようにかんじて、
近くなったようでいて、
実際に体験する、という機会が少なくなってしまって、
受け取り手の感覚によっては、
遠くもなってしまっようにも思えたりしました。
勉強会に参加しました。
この日は、瓦探索のレポートで、
写真をみせていただきました。
発表されていた方がおしゃっていたのですが
普段何気なくつかっているものの
つくられ方を実際にみてかんじると
素材のもつチカラを改めてかんじる。。と。
お話にもチカラがあったのでしょうか、伝わってきました。
普段接しているもの。
建築の素材でなくても、野菜であったり服であったり、
家電であったり、どんなものでもいいのですが、
どんなふうにつくられているかを
知ることって、
大切なことだと思うのです。
そのことによって、大切にしたいとか
いろいろな、思いが生まれたら、
きっとその人自身の暮らしも変わるではないかな。
今回レポートのあった瓦は、重いものですから、
地場の土で、地場で焼かれてつくられてきたもの。。
だから、子供たちも大人たちも、つくられかたを
知りながら育ってきたものだったのでしょうね。
インターネットなどが発達して、
調べればすぐ分かるようにかんじて、
近くなったようでいて、
実際に体験する、という機会が少なくなってしまって、
受け取り手の感覚によっては、
遠くもなってしまっようにも思えたりしました。