5/30のつづきとなります。
深夜、ボランティアバスは東京を発着しました。
普段、夜行バスでも熟睡できるのですが、
気持ちが高ぶっていたのか、浅い睡眠。
途中の高速道路の道は、復興しているとはいえ、
凸凹していたように思います。
隣に座られていた方は、大阪から来られた方、
阪神を経験された方でした。。
阪神を経験された方の思いは強くて、
大阪でのボランティアバス等はすぐにいっぱいになってしまい、
こちらで申し込みをしたと
おっしゃていました。
ここまでも夜行バスで来られたのだとか。
そして、実際の埃や臭い、平衡感覚のないことは、
現地に行かないとわからないとも。
阪神のとき、西宮と大阪、電車で15分しか違わない場所の
復興の違いにショックをうけたお話のこと。
いろいろ話してくださりました。
東京発のバスなので、東京の方が多いのかと思っていましたら、
別府や、天草、大阪、京都、奈良、静岡、埼玉、千葉、神奈川、と
いろいろなところから集まってきていて、びっくりしました。
21歳から、70歳近くまでいらしたそうです。
朝が来て、まずは宿泊地である遠野に向かい、
荷物をおろして現地に向かいました。
はじめてみる遠野は本当に緑が多くて、
朝早くから、田植えをしている姿が見えたり、
本当に本当に美しいところでした。
(写真はバスの中からみた遠野です。)
この地方のいいところをも感じられたのは、
東北の旅行会社さんの主催であったからなんじゃないかなと
思います。
地震そのものの被害という点では、岩手の遠野より、
私がみた場所の中では、
液状化している地域を別にしても、
埼玉の久喜、宮代、鴻巣、吉見等のほうが大きいように思いました。
遠野は、市町村の機能が流されてしまった大槌町の基点とも
なっているそうで、自衛隊の車やテントもよくみかけました。
遠野に避難して暮らしている方も多いそうで、
作業に行く人もいて、渋滞していました。
団体や、公共のもので動くというのも大切なことかもしれません。
途中、釜石の市街と通りましたが、
そこでの被害は、衝撃を受けました。
でも、釜石の状況などは、こちらでは、放送されることは少ないように思います。
1階部分が津波の影響で、崩れており
想像を絶するものでした。そして、こちらは復興が進んでいない印象を受けました。
写真2枚目が釜石の商店街です。バスの中からなので、うまくとれませんでした。写真の所は比較的よいほうだったと思います。
写真を撮ってよいのか迷いましたが、ボランティアをコーディネートしてくださったIさんのありのままを伝えてくださいという言葉をお聞きして、撮ることにしました。
たくさんの壊れたものたちの山がありましたが、その処理場は、いっぱいで解決策はまだ決まっていないようです。
現地につき、説明を受けて、
はじめは、比較的被害の少なかったところの泥の掻き出しを行いました。
床下に溜まった土をみなで出して、運び、消毒をして、石灰をまきました。
30人も居るとあっという間で、1日の予定が半日で終了しました。
みんなのチカラというのはすごいものです。
作業が終わった頃、住まい主さんが、ジュースを用意してくださっていました。
なんだか、申し訳ないくらい。でも本当に美味しかったです。
途中、お天気雨が降って、洗濯物を仕舞うのを手伝ったりしましたが、
たくさんのもの(ガレキというのでしょうが、いろいろな人が生活をしてきた日常のものたちなので、ものと書きたいと思います。)足場がないなか、
おばあちゃんがしているようでした。
つづきはまた。。

Post a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です