6/1のつづきです。
午後、2日目はより海に近い地域での作業になりました。
といっても海は見えません。
奥に深い湾となっているため、
海岸は思っているよりもずっと遠く、
見えないので、逃げ遅れた方も多かったそうです。
体育館の2階の窓くらいまで津波の跡があったように思います。
男性は家屋の泥の掻き出し、
女性は、畑、お庭での作業となりました。
家の中の泥は30cmくらい溜まっており、
水分を含んだ土は重たかったようです。
家の中から大木等も運びだされていました。
私たちは、畑、お庭に流されてきたものを拾いました。
表層のものをひろい、トラクターで表裏を逆さにして、
また拾いと3,4回、繰り返し、長い時間をかけて、畑としていくそうです。
私たちは2回目っておっしゃていました。
写真は、まとめ終わったようすです。道路の向こうのものの山は、自衛隊さんや、クレーン作業者さん等で、つまれたもので、搬出のトラックが来ていました。
その場所は、住宅地でなくて、水田だったそうです。
山と水田と。本当にきれいな場所だったのが想像できますね。
ものすごい臭いはするのですが、根底の空気は澄んでいるのが
わかりました。
ものといっても、やかんだったり、屋根だったり、おむつだったり、
絵本だったり、アルミサッシであったり、おしょうゆであったり、
靴であったり、断熱材であったり、日常を彩っていたものたちです。
拾っているとせつなくて、でも、ボランティアコーディネーターのIさんが
ここがいつか緑の畑になったら本当にうれしいですねって何度もおっしゃてくださいました。
こんな状態でも、明日を信じ、前に進まれる、
そんな静かな決意に感動したりていました。
流されてきたたまねぎは新芽をだしているものもありました。
ヘドロ化したものもあるなか、オレンジは腐っていなかったり、
命のある植物って本当に強いものですね。
写真2枚目は大木の様子です。
津波で折れてしまっていても、上のほうは、新芽が芽吹いていました。
けれど、腐って臭いを放っているものもありましたし、
この時期でも、
海からの風が吹くとマスクなしではきつい臭いがしましたので、
夏が来る前に人手が必要だなって思いました。
1軒の家の泥の掻き出しでも、男性20人くらいで、
1日半かかっています。
1日目は、生活者さんと少ししかお話できなかったので
思い切って話しかけてみました。
その方、Aさんは、海辺で、ウニ、カキ、アワビ、ワカメ等の
仕事をされていて、危険な場所にいたから、車と携帯とお財布だけもって逃げて
助かったそうです。
震災後は、支援物質の仕分け等をされていて、
自分の家のことは今になってしまったっておっしゃていました。
でも、することがあると気がまぎれてよかったと。
以前、テレビで、皇后さまが生きていてくださってありがとう。
そうおっしゃている様子をみて、素敵な言葉だなとぼんやり思っていたのですが、
実際、ぎりぎりのところで生きてこられた方にお会いすると
それが本当に一番近い言葉だと思いました。
生きていてくださって本当にありがとうございます。
一緒に拾っていると草木が芽吹いているのを見つけました。
たんぽぽだったり、かぼちゃだったり。
そんなお話をすると
ほら、ここにも。ここにもあるんですよって笑顔で教えてくださりました。
短い間だったけれど、
みかちゃん。ありがとうって名前を呼んでくれたときは、
本当に感動しました。
つづきは宿となった遠野のことを書きたいと思います。

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