●つくりかた

木成りの家

木成りの家
なぜ手刻みなのかということについて、
一度書いてみようと思う。
木は生きている。
緑のこい色が風にゆれるのをみて、
花が咲き、実がなり、枯れてまた、新芽がでる。
それを否定する人ってあまりいないんじゃないかな。と思う。
木は生きている。
呼吸をしている。
命あるもの。
人間だって、動物だって。小鳥たちだって。
草木であって。空だって。大地だって。
みなみな生きている。
みなみな自然の中の一部なんじゃないかなぁって思う。
だから、わたしとあなたが違うように。
木にも木の個性があって。
桧と杉で違う性質をもつということはわかるでしょうけれど、
それ以上に、同じ杉でもまた個性がある。
太陽をたくさん浴びて育った木、
厳しい冬をのりこえた木。
山の斜面で育った木。
みなみな、きちんと木成りの個性をもっている。
製材されている木でも、
樹種によって、木の温度は、違うけれど、
その同じ樹種であっても、
実生の木、植林された木、南で育った木と
ひとつ、ひとつ個性がある。
人間にたとえてみればわかるけれど。
同じ兄弟でも、個性があるように、
みなみな個性をもっている。
だから、石油製品のように、同じものとして、
加工されるのは、不自然なような気がする。
先日、施主さんご家族と共に、近隣挨拶をしてきました。
ご近所さん、みなみないい方ばかりで。
なんだかうれしくなってしまった。
建物を建てる
土地には、初夏がやってきていて。
いろいろな草たちが緑の時間を楽しんでいた。
小さい木の赤ちゃんもいた。
その命をいただいて、つくるもの。
だからより、大切につくらなければいけないなぁ
なんて思った。
今回、大工さんに、伝統的な継ぎ手、仕口をつかって、
刻んでいただいている。
今、ちょうど半分くらい。
大工さんは、一本、一本の木の癖をみて、
命ある木を生かして、
木の良いところをのばして、
刻んでくださっている。
例えば、梁となる木は、漢字の一の文字のように、
つかう。
漢字の一の字は、真ん中が山のようになっている。
そう使うことで、上からの力に対し、木のもっている
力を最大限に生かすことができる。
個性をみずに、加工してしまったら、
木のもつ、100の力を70までしかつかえないとしても、
その個性を生かせば、120にも、200にもなる。
そんな作業をしていただいている。
日本には、四季がある。
地球にも。
空も。太陽も。風も。
何もかも、毎日。毎秒。
同じことはない。
風が息している。
ウインドの先生がよくいうのだけれど、
命あるものは息している。
だから、木も、大きくなったり、小さくなったりする。
均一でないもの。
だから、木と木どうし。
呼吸しているものどうしで、きちんと組んで、
のびたり縮んだりという動きも許容できる。
それが経験のある大工さんならではの仕事。
金物だけでは、その動きについていけない。
木が生きているものということを
見ないふりしてるようにして、決められた法律での計算では強いとでるものが、
本当は、強いのかな?
といつも疑問に思っていた。
例え、乾燥材をつかっても、
木は、やっぱり生きているから、
また違う生き方をしている金属でできた金物とは、
のび、縮みほ仕方がちがうからかな。
ゆるんできてしまう。。
長い目でみたら、生きているものどうしで、
きちんと組んでいったほうがやっぱり強いのだと思う。
経済の都合でなく、
木の都合を聞いてみたい。
人もまた息している。
あたりまえだけれど。
だから、息している木でつくられているは、
気持ちいいのだと思う。
人も、木もまたおんなじ自然の一部。
長くなってしまったけれど、
伝統的な方法で、木を組む理由は
ここにあるのかな。
木に命をありがとう。
木の命を生かしてくださっている大工さんに
ありがとうって伝えたくなりました。
施主さんの暮らしを包んでくれる木成りの
家づくり一緒に宜しくお願いいたします。
2007.06