●あの壁

あの壁が好きなんだよねって
教えていただいた久住さんの昔の壁をみてきました。
なんともいえない味わいがあるって
教えていただいたのですが。
近くでみると
ふんわりしていて、
きらきらしていて、
でもなんだか、存在感のある壁でした。
写真では伝わるかな?
久住さん30代だったそうです。
私も今、この壁を塗った頃の久住さんと同じくらいの年代。。
とうていおよばないけれど、
いいものやりたいことをつくりつづけなければ。
とかんじた壁でもありました。
 
土佐漆喰のハンダです。
なんだか粋ですね。

●奥田信雄さんの京壁

水捏ね仕上げ

奥田さんのことば。
今日でレポは最後です。
職人さんってお休みが少ない仕事ながら、
今回も、全国からたくさんの方があつまっていました。
左官屋さん、熱いですね。
会場を歩きながら、
奥田さんがおっしゃっていた言葉です。
うまくぬろうとしてはだめ。
壁にむかえるかどうか。。
僕の言葉は精神論みたいになってしまうのですが、
でも、そう思っている。
そうおしゃっていた奥田さんの
用意されてくださった資料には、
仕上げにくいコテで苦労して仕上げた壁にこそ、味わいが赴きがあり
革新的な道具で・・・・・・それは作為的になり、
道具によって簡単に塗るのではなく、苦労して仕上がるなかに無作為の中の作為があるのではないでしょうかと
書かれていました。
ものづくり大学の先生の
お弟子さんを育てるには?
との質問には、
お弟子さんに対して
暴力左官屋と呼ばれていまして、
バスーンとやるんです。
なんていいながら、
できるだけ自分の時間を○○君のためにとってあげる。
ご飯を食べたりしながら、
顔をみて、今日はつらいとか、
今日はやるきがあるとか
わかるようにする。
っておしゃっていました。
そして、最後に、
狭いひとつの世界を壁の基本と理解して、
新しい世界にすすんでほしい。
っておしゃっていました。
ありがとうございました。

●奥田信雄さんの京壁

引きずりのコテ板の上で体験もさせていただきました。
みながお弟子さんの集まってお話をしているところに、
プロフェッショナルにでられていた狭土さんもやってきて、
教えてくれ!と輪にはいってこられました。
あんな有名人なのに、
教えて!っていえるのってすごいですね。
奥田さんがよしという波と
よくないという波の違いを聞かれて、
やってもらったり、自らやってみたりしていました。
奥田さんがよしという波は、
つながっていてはだめで、
あちこちバラバラではなく、
言葉でいうのは、むずかしいのですが、
つっこんでいろいろきいていらして、
お弟子さんも、真剣に答えられての会話を
みているうちに、
違いが少しわかりました。
狭土さんが去られた後、
私もやらせていただきました。
まずは、コテのにぎりかたです。
人差し指と中指と、間にはさんで
中指と、薬指を背にあてるようにしてもち、
親指は、チカラをいれずにそっとそえて、
小指などの指先は、つっぱらないように、丸くして持つそうです。
そうすると必要なところにチカラが入り、
必要のないところは脱力するのですね。。
すごいです。
いろいろな左官屋さんがおしえてくださったのですが、
関東のコテは握りやすいように、
柄の部分が丸く、
関西のコテは握らないように、
柄の部分が四角いのだとか。。
四角い柄の部分は、人の指型に、
くぼまれていました。
使われているうちに自然とそうなったのでしょうね。
コテで
土をすーっとひいていくと、
引きずり仕上げになるそうですが、
緊張してしまいました。
100年のコテと
今のコテで、両方やらせていただいたのですが、
普段コテを握ることのない私が感じた違いは、重たさでした。
100年コテのほうが、重たさがありました。
それと存在感があって、
モノってチカラがあると思うのですが、
もつとオーラみたいなものがありました。
左官屋さんだったら、すごく分かるのでしょうね。
私は何もわからないまま、体験させていただきましたが、
何が違うかわからないのですが、違うことだけは伝わってきました。
お弟子さんがおしゃっていたのですが、引きずるときって、
中にいれた藁を動かさずに、
上の土だけを動かしていくそうです。
神業ですね。
平成会の方が塗っているようすを
左手からみていたんですが、
本当に、土だけが動いていました。
土が生き物みたいに!感激でした。
手前から2枚目で教えている方が奥田さんです。

●奥田信雄さんの京壁

引きずり投げスサという仕上げと
投げスサ松葉散らしという方法をみせてくださいました。
藁を埋めていく方法と
藁を混ぜて塗っていく方法みたいです。
投げスサのほうも、実際には投げるのではなく、
ひとつ、ひとつ丁寧に埋めていっていました。
そのとき、ただ埋めるのでなく、
自然にないようにはならないようにとおしゃていました。
それが終わったあと、なでるのですが、
100年も前という、
引き摺り用の船のようなコテをつかわれていました。
和鉄でできているそうですね。
写真奥の鏝がそうです。
藁を混ぜて塗っていく方法では、
藁をお醤油につけておいて混ぜると
時間と共に、藁が白くうきでて、
まわりが錆て色がでてくるんだそうです。
塗ったばかりのときは
隠れてしまうので、写真のような長いわらがはいっている
というかんじはしません。
その時間というのは、
わからないんだそうです。
答えを求めてしまいがちな自分を反省しました。
わからないってこと、
待つってこと、自然のもつものの
魅力ですね。
そして、今私たちが忘れそうになっている
美しいものってそこにあるかもしれませんね。
いただいた資料に、奥田さんのよいと思う壁として、大徳寺、玉林院、
南禅寺、探泉亭離れ、名があげられていましたので、
機会があったらみたいなぁと思いました。

●奥田信雄さんの京壁

水捏ね仕上げは、
土と砂とスサでできています。
糊を使わないで、固めるには高い技術が必要なそうです。
そんな奥田さんの材料の割合は、
土と砂とスサが
10:6:10以上だそうです。
たくさん!と左官屋さんたちは驚いていましたが、
私はその標準なるものがまったくわからないので、
日本左官業組合さんの左官の技、伝統を現代に生かすという本をみてみました。
そこには、10:8:4とでていました。
ずいぶんちがうのですね。
お弟子さんがバケツの中の土をとってみせてくださいました。
つかんだ手からスサがみえています。
たくさんはいっているのがわかりました。
でもこの割合は、土によってちがい、
京都の中内建材店さんのものだとこんな割合でいけても、
他の京都の建材屋さんの土だと砂多くいれないといけないから、
スサがはいらないというお話も聞きました。
そういう土だと、外部では使えないのだとか。
土の性質を知り尽くした
言葉ですね。
すごいです。
どの土が使えるの?という質問に、
お弟子さんは、砕いて練って、乾燥したときに固まったものと
おしゃっていました。
いれる藁ですが20年以上経ったものを木槌でたたいてつかっているそうです。
農耕民族だった先祖は藁を知っていた。。
そうおっしゃっていました。
そして、どうして、この土にこだわるかの理由を
指と指を組み合わせて表現をしてくださいました。
土壁のいいところは動くところにある。
とおっしゃり、組みあわせた指をほどいてみせて、
薄くぬるととまてしまう。
砂が多いと固まってしまう
ざくっとしずんでふわっとあがる。そんな壁をつくりたいとおしゃっていました。
ざくっとしずんでふわっとあがる。
これは、塗りたての壁ですが、
時間が経ったとき、ふわっとざくっとするのでしょうね。
時間が経った壁、みてみたいですね。

●奥田信雄さんの京壁

写真は奥田さんのコテたちです。
すごいですね。
みたこともないようなコテがたくさんです。
そしてどれも、みな美しい。
命があるみたいですね。
100年前のコテなどもあるそうです。
塗りやすいコテと綺麗に仕上がるコテは違う
ともおしゃっていました。
塗りやすいコテは塗れているつもりが下地がつぶれていなく乾くと
だめなことがある。
乾いたときによくなるコテがいいそうです。
こんなこだわりのコテを拝見した後ですが、
素材と腕とコテの
割合は、7:1.5:1.5だそうです。
このコテたちの5倍、
そして、腕の5倍、
土が大切なのだとか。

●奥田信雄さんの京壁

奥田信雄氏の京壁の講習会に行って来ました。
そのときのようすをまた何回かにわけてレポします。
京壁といっても、
よくわからないので、とても興味があったのです。
京壁と辞書で調べるともともとは、京都の土をつかった土壁で、
今は、ざらっとした仕上げ風のものをいうと出ていました。
でも今回のは本来の京壁です。
そして、今回は、水捏ね仕上げと、
投げすさ引きずり仕上げをおこなってくださいました。
まずは、水捏ね仕上げです。
水捏ね仕上げとは、土とスサと砂でつくる
糊をつかわない壁のことで、
京壁の中でも、とても難しい仕上げだそうです。
準備されていた下塗りに水を含ませ、
お弟子さんの二人と有志の方が
壁を塗っていきます。
お弟子さんたちは、息をとめるようなスピードで塗っておられました。
ゆっくりコテを動かすのってすごくむずかしいって参加されていた左官屋さんが
おしゃっていました。
奥田さんは、
何度もコテにチカラをいれて塗ったらあかん。
とおしゃっていました。
7寸こコテでも、1尺のコテだと思って体をつかって大きくなでる
とも。
指にチカラをいれないので、親指と人差し指の間のところに、
筋肉がつくのだそうです。
自然の力でうごく、ウインドも
脱力がとても大切です。
チカラがはいっているとチカラは伝わらないんです。
でも、チカラをいれるより、
脱力ってすごくむずかしいですよね。
左官もおんなじなのかなぁと思ってみていました。
素人の私がみても、、奥田さんや、お弟子さん、またこの人うまいなぁと思うかたって、
みなコテと体が対になって動いていました。
うまくいかない方々は、腕だけがうごいていました。(でも、すごくがんばられている方々です。)
中塗りでならすには、なみのないように塗るのでなく、まっすぐ塗る
ことが大切で、なみには消える波と消えない波があるのだとか。。
本当に奥が深いですね。

●久住さんの竹木舞

写真は、久住さんの木舞です。
何度かみかけたものよりも、ものすごく、がっしりしていますね。
建築基準法の告示の考え方では、竹を組んだ上で、土を塗ってやっと壁倍率がとれる。
でも、こちらでは、土を塗らない状態でも、壁倍率も、3くらいあるんのではないかなぁ。
そうおしゃって、60キロくらいあるんですと、
体全体の体重をかけてみせてくださいましたが、
びくともしないものでした。
編んでいる縄も太いし、強そうですね。
いい土をきちんと塗ればまた、壁倍率1くらいの強度にはなるとおしゃっていました。
建築基準法で決められているからこれでいいでなく、
もっとよいと思えるものを。。そうもおしゃっていました。
(ただ、それより強いと思うもの、不燃によいものを使用したいと思っても、
告示に書いていないからダメと言われることも多いのが今の法律の現実とかんじています。
性能をあげたくても、告示に書いていないからダメ。。
おかしいことなのですが。それをクリアするには実験しなければいけないのですが、
実験には、○00万円ほどかかるようです。。それでは、大手企業でなければできない。。
それでは、
よいものをつくろうとしている小さい会社の方がつぶれてしまいかねないですよね。)
木舞ですが、
東北等の竹のない場所では、小枝がつかわれていたりしたそうです。
本当に、その土地にあるものから生まれていたのですね。
また、縄はもともとは、ワラビナワだったそうです。
縄が腐る?という質問があったのですが、その建物の場所、風が通るかどうか、
そんな環境によって、左右されてしまうもので、
例えば、地震のあった輪島では、漆のために、2重壁のようにして、まったく風の通らない構造のとき、崩れた土蔵があり、同じく地震があった淡路島ではまったく、崩れていない。。
建物って環境が大切。。
それは、今の普通の住宅においても、一緒です。

●久住さんの講習会2

久住さんに、以前と紹介させていただいた遠山邸の壁のことも教えていただきました。
赤い壁も水色の壁も土でできているそうで。
あの十字の模様は、ヌキ部分に漆喰を塗り、あくがでないように、
しているそうです。
そして蛍壁というのには、二つの方法があり。。(と書きながらもうわからなくなってしまいました!すみません。)
U型の磁石を持って町をあるくとついてくるような鉄の粉に
おしょうゆをいれて、(かなり間をとばしています。)
おしょうゆごと塗る(ちがっていたらごめんなさい!!教えてください)
とあんなもようがでるそうですが。
遠山記念館は、お金をもっているぞとやりすぎっておっしゃていました。
その表現がぴったりでおもしろかったのですが、メモできませんでした。
おしょうゆっていうのがおもしろくて、
実際にやる方がいたらみてみたいです!!
塗り壁ちょっとだけ体験もやらせていただきました。
久住さんにアドバイスをいただいたらコテに漆喰がのって感激でした。
最後に、久住さんというと、カリスマといわれているような、めちゃくちゃ有名人なのに、
実演が終了してすぐに、床に落ちた漆喰を素早く、丁寧にふき取っている様子を
みかけて、
職人さんとしての誇りみたいなもの、誠実さみたいなものをかんじました。
偉い人にならないでいる。。かっこいいですね。
そして、左官の壁だけでなく、その下地についての告示であるとか、
図面を書き、指示するお話だとか、環境と左官についてのことだとか、
左官をとりまく法規のことや、社会的なことまでも、考えている。
あたりまえのことではあるのですが、
大工さんの棟梁や、カシラである方と同じく、
左官屋さんの親方もまた、
本当の意味での長としての仕事をされていること、
誇りをもった姿勢、失われがちであることでもあるので、
うれしくかんじました。